紙とモニター

デジタルチックに、デザイン、アニメーションを教えることについて

ソフトウェア習得の必要性

グラフィック編集ソフトウェア習得の授業は、学生全員に対して必要。


下記の記事からの続きです。


 2006年に大学でアニメーションの授業を受け持つことになった際、グラフィック編集ソフトウェア(以下ソフトウェアと表記)習得にどれくらい時間を費やすべきかを、特に悩みました。
あくまでも私感ですが、他の講義シラバスや、色々な先生の話から、ソフトウェア習得をメインとした授業は、大学の授業として、あまり好まれていない雰囲気を感じました。

好まれていない理由の一つに、操作方法を教えても、ソフトの仕様が大きく変わったり、ソフトウェア自体がなくなると、無駄になる事を懸念しているようです。
それよりも、ソフトウェアやコンピュータを使った、デザインの概念探求などに焦点を合わせることを考えています。確かに原理概念を追求する事こそ、大学教育であると言えるでしょう。これに関しては自分も非常に同意でき、理想であると感じます。


 確かに20~30年ほど前までは、この考え方は的を得ていました。
画像編集系ソフトに関して言えば、Adobe製品がデファクトスタンダードとなる以前、数々のソフトウェアとその会社が、現れては消えました。そのため、ソフトウェアを選択することは、一種の賭けでした。その賭けに敗れた場合は、時間と苦労とファイル形式が消え去りました。

 さらに操作マニュアルは妖しい日本語訳で満たされ、時には英語以上の翻訳能力を要求されました。また、何故かいつも納品直前に現れる、致命的なバクにも悩まされました。苦労して回避方法を探り当てても、バージョンアップの度に、既知のバグは消え、新たなバグが現れました。正直ソフトウェア根本の安定性が欠けていたと言えるでしょう。
 結果、教育の場で特定のソフトウェアを決定し、その操作手順をシステマティックに教えていく事は、かなりのリスクを背負う事でした。

 反面、ソフトウェアの機能は、今日と比べると、さほど多機能化されておらず、学ぶ側もコンピュータやプログラムに強く興味を持っているため、独学でも容易に習得出来ました。
そのため、使いたい学生には独学で習得させればよく、コンピュータに興味のない学生にまで拡げて、一律にソフトウェア教育をする必要性を感じていなかったのだと想像できます。
結果、授業では、作品論や制作論により多くの時間を割くことで、授業効率、成果も良かったと推測されます。

 同時にソフトウェア習得は専門学校の分野であるという、先入観があるかもしれません。最近まで、私も同様の認識を持っていました。
専門学校の2年という短い期間では、作品論、制作論などを探求するには、あまりに時間が足りません。そのため社会に出た際、すぐに役立つ技術習得を中心に特化させる事は、非常に理に適っています。

 以上から、大学でのソフトウェア習得授業は、どうしても消極的になると考えられます。


 しかし、今日、ソフトウェアは極度に高機能化し、独学で学習範囲を判断することが難しいと感じます。また平面作品から映像、WEBまでAdobe製品が事実上の標準ツールとなり、ソフトウェア選択に悩む必要がありません。ソフトウェア動作も比較的安定しており、不具合もオンラインですぐさま修正版が配布されます。バージョンアップでは毎回、大量の新機能が追加されますが、基本的な操作方法、考え方はほぼ変わっていません。
 アニメーション、映像に限らず、成果物が紙面であるデザイン、イラスト、文章であっても、モニターを介さずに制作されるものは皆無で、デジタルデータでないと入稿、納品はほぼ不可能です。もちろん、油絵、版画、彫刻など、伝統的なアートでは、モニターを介する事はありませんが、作品を記録し、レジュメなどを作る場合は、デジカメ、ソフトウェア、PDF配布と言ったデジタルメディアの存在は不可欠です。

 そのためにも、ソフトウェア習得は、コンピュータへの興味の有無に関わらず、学生全員に必要です。それらの知識がなければ、いかなる成果物も得られないと言っても過言ではありません。絵を書く際に、紙、絵筆、絵の具が必要であるのと同様に。


と、ここまで、考える事で、ようやくソフトウェア習得の必要性を裏付けできたと思います。そこで次の問題は、ソフトウェア習得の範囲設定です。

続きます。