データ、メディア、シェア
データを所有するってなんだろう。
SNSに上げられた写真や動画、そして記事は、投稿者が消したり、リンクが切れたりして、いつ消滅してもおかしくない。
だから、シェアには振り回される。
しかし、自分のPCなりスマホにダウンロードすれば確実に手元に残せておける。
ファイルは確実。
けれど、保存先のHDDなどのメディアは、時間が経てばいつか不具合が起きる。
そのために、メディア内のファイルを、バックアップするか、不具合が起きる前に他のメディアに移動させたほうがいい。
つまり、メディアは不安定だ。
こうして、データはメディアからメディアへと渡り歩き続ける。
留まり続ければ、いつかメディアと共に消え去る。
人もこれと同じ事を繰り返して来た。
例えば、弁護士を例に。
自分で法の知識というデータを身に付けていなければ、社会に公開されている専門家を、対価を払い、シェアして利用する事になる。
ただ、利用規約による利用制限、先方都合で起きるアクセス遅延、廃業されたらシェア中止などを、甘んじて受け入れなければならない。
しかし、一度必要な知識データを自身の脳神経メディアにダウンロード、インストールし、資格という権限を手に入れれば、いつでも好きな時に利用可能になる。
だが、やはり経年劣化により、肉体というメディアには、いずれ不具合が起き始める。
メディアがまだ健全で、データにエラーが含まれる前に、学生という新しいメディアに移行したり、書籍、放送、デジタルメディアを使ってシェアする。
そうする事でデータはメディア間を渡り歩き、生き長らえる。
法知識で例えたが、哲学も数学も、文学、音楽も皆同じ、まさにミームという事。
もっとも、DNAは同じ事を38億年前からやっているから、その影響で同じプロトコルになってしまうのか?それとも情報とはそういう特質なのか。。。